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ポート・アーサー史跡地区 – 世界遺産史跡地区

ポート・アーサー史跡地区は、イギリス流刑地時代の史跡として世界遺産にも登録されており、国内流刑地史跡でここほど当時の遺構が良く保存されているところは他にありません。

また重要な文化観光地でもあり、来場者数は国内最大級、オーストラリア唯一の島一つが州というタスマニアを訪れる人には必見の史跡です。

ここに送られた流刑囚達は?

1776年にアメリカが独立戦争で勝つと、流刑地を失ったイギリスは、1788年以降、囚人をオーストラリア植民地に送りました。その流刑囚たちの罪は今から見ればささいなもので、小価値の金品や家畜の窃盗程度でしたが、彼らには前科があり、イギリス政府は再犯者には厳罰で臨んでいました。当時この島はバン・ディーメンズ・ランドと呼ばれており、流刑囚は農村や貧民街の貧しい若者達でした。また、5人に1人は女性で、親と一緒に流されてきた子供達も大勢いました。刑期が終わってもイギリスに送り返された人はほとんどいません。

歴史

1830年から1877年まで、ポート・アーサーはバン・ディーメンズ・ランドまたはニュー・サウス・ウェールズ植民地に送られてきた流刑囚が流刑地でさらに罪を犯した場合の刑罰として送られる土地でした。外界から隔絶した条件の厳しい土地で、脱出もほぼ不可能なポート・アーサーは再犯者を送るには最適の場所でした。古今東西を通じて犯罪は社会の悩みのタネですが、ポート・アーサーを流刑地中の流刑地とする制度は当時画期的な案でした。

ポート・アーサーは単なる刑務所ではなく、地域社会の性格も備え、軍人や自由移民が生活し、様々な物資を生産する産業、食糧を生産する農場もありました。また、ポート・アーサーが初期の目的を終える頃には、当時、「paupers (貧者)」や「lunatics (狂人)」と呼ばれた慢性的な心身の障害を負った患者も送り込まれました。

重要な歴史遺産観光地

現在、ポート・アーサー史跡地区は、国内でも来場者がもっとも多い歴史遺産観光地であり、2008, 2009, 2010年と「Australian Gourmet Traveller Magazine 」の「オーストラリア史跡観光最優秀賞」をはじめ、数多くの賞を受けています。この史跡地区には、広大な庭園、公園、自然林の間に30棟を超える歴史建造物や廃墟が残されており、19世紀末の森林火災で焼失した建物の廃墟が今も異様な雰囲気の中にも荘厳さを感じさせます。

世界遺産

ポート・アーサー史跡地区は、オーストラリア流刑地史跡世界遺産11か所の一つです。

美しい風景に秘められた史実

史跡地区を歩くと、流刑囚、兵士、自由移民、その家族達のすさまじいばかりの体験がひしひしと伝わってきます。ポート・アーサーの史実は様々な形で語りかけ、この地を離れた後も忘れることができません。

たとえこの史跡の歴史に興味がなくても、美しい入り江に面し、流刑地時代のままの姿をとどめる森に囲まれた、この地区の庭園、敷地、神秘な雰囲気を漂わせる廃墟のたたずまいには人を魅する不思議な力があります。

旅行者必見の史跡

ポート・アーサーは、オーストラリアを訪れる人に一度は見てもらいたい必見の土地です。史跡はタスマニア州の州都ホバートから南東に約100kmのタスマン半島にあり、見事な景観と神秘的な廃墟のたたずまいに綴られるすさまじいばかりの物語がオーストラリアの歴史と文化を垣間見させてくれます。

ポート・アーサーで一、二泊すれば、有名なゴースト・ツアーに参加し、フェロンズ・ビストロで新鮮な地元産の食べ物を味わい、ソルトウォーター川炭鉱史跡地区 (ポート・アーサーから車で25分) を見学し、さらに、絶景とされるこの地の海岸風景を探索する時間が十分にあります。

ポート・アーサー史跡地区

Port Arthur Historic Site

Arthur Highway, Port Arthur Tasmania 7182 AUSTRALIA

reservations@portarthur.org.au

または、旅行代理店でお尋ねください 。

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ポート・アーサー史跡地区の情報はDiscover Tasmania ウェブサイトにもあります。